新型コロナウィルス禍は、私たちの人生と社会に「不安と失望」という暗い影を落としています。感染と死の恐怖が外出自粛となり、それによる経済の停滞は生活不安や事業不振を招いて、多くの人々を失望させています。長く続くコロナ禍との闘いがストレスとなり家庭不和や家庭内暴力という更なる不安を生じさせます。このような悪循環をどこかで断ち切り、さらに続くコロナ禍と闘いつつ、経済活動によって生活を支える「新たな日常」を探し求めています。幸い、行政は色々な支援を行おうと相談窓口を設け、民間のNPO等も様々な取り組みをもって行政の支援の隙間を埋めようと努力しています。感謝なことです。ではキリスト教会はどのようなお手伝いができるのかと問われます。教会は「平安と希望」をもって新たな日常をともに生きるお手伝いができるのではないかと考えます。
イエス・キリストはかつて、今日のような「人権(人格尊厳)」が多くの人々にはなかった社会で、特に弱い人々や苦しんでいる人々の人格の尊厳を大切にし、日常の必要に寄り添われただけでなく、たとえ不安や失望の只中にあっても、「平安と希望」をもって生きる秘訣を「ことばとわざ」で示されました。イエス・キリストは私たちに「生きるいのち」の幸いを示し、「この世」ばかりでなく、「来るべき世」へとつながる永遠を見据えた「豊かないのち」を与えてくださいました。私たちはこの世を生きることに精一杯ですね。それでも人は永遠を希求します。もし永遠につながるものが確実で保証としてあるなら、この世の生き方も変わってくるでしょう。それが「新しい日常」のあり方となります。確実で保証となるのが、イエス・キリストの「死人の中からのよみがえり」というわけです。そして、よみがえりの主イエス・キリストが「わたしはあなたを捨てて孤児にはしない。決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない」(ヨハネ14:18,ヘブル13:5)と言われて、ともにいてくださると。そのことを確かなものとするために、イエス・キリストはご自分の御霊である「聖霊」を送ってくださいました。来る5/31は教会暦で「聖霊降臨日(ペンテコステ)」です。この聖霊は、私たちの新たな日常に「平安と希望」を、求める者に与えてくださいます。そしてともに励まし支え合いながら不安と失望の暗闇をくぐり抜けて行けるのです。「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5:5)。